人のあかし 観客の記事(中帰連記念館・館長/芹沢昇雄さん)
川崎・スペース京浜で、元戦犯の実録『人のあかし』上演
2012年 12月 1日 20:38 芹沢昇雄
無教養な記者は芸術にも疎く、『京浜共同劇団』が川崎市で50年を超す公演を続けている事を知らなかった。その公演『人のあかし~ある憲兵の記録から~』(作:和田庸子、演出:藤井康雄)の初日を観てきた。小さな100人余りの会場は満席であった。
的の代わり中国人を刺した 『実的刺突』
戦争と言うと誰しも自身や自国の被害・悲劇を訴えるが、あの戦争は日本自身が初めた「侵略戦争」であり、日本は自国の犠牲者310万人に対し中国、朝鮮をはじめアジアの民2000万人とも言われる犠牲を強いた。しかし、日本ではその加害に触れようとせず、加害を語る人は皆無と言ってよく、政府も教育もそれに蓋をしようとしている。
そんな中で山形県上山市出身の憲兵中尉だった渡部正一(仮名)は、当時、中国・チチハルで自身が手掛けた拷問や殺害を告白・懺悔し続け2001年に91歳で亡くなっている。戦時中、現地では裁判も開かず「現地処分」の名の下に数百人が銃殺された現地を彼は尋ね証言している。しかし、彼の体験は特別の例ではなく、中国の関東軍の多くはほぼ同じような事をしており口を閉ざしているだけで、731部隊を持ち出すまでもない。この元憲兵を通して「戦争とは、人間とは」を問いかけている。
彼はチチハルで自ら抗日運動家ら8人を拷問殺害し、戦後、遺族に面会を求めたが、「今更謝ってもらっても」と拒否された。しかし、彼が銃殺した金純昌の四女趙秋月さん(瀋陽医科大学教授・当時4歳)一人が会ってくれた。彼は趙さんから当時の悲しさや貧しさを聞かされ心から謝罪懺悔し、その記録は山形放送の『ある憲兵の謝罪』(1990年「地方の時代賞」受賞)にも記録されすべて事実である。彼らは『撫順戦犯管理所』に戦犯として収容された。
思い出を綴る渡部(右端)
日本軍は当時、中国人を人とは思わず「丸太」と称し憲兵たちは拷問したり「特移扱い」として生体解剖の実験材料としてハルビンの731部隊にも送っていたことは知られている。それだけではなく、多くの関東軍は「焼き尽くし、奪い尽くし、殺し尽くし」の所謂「三光作戦」(中国側の呼称)さえ行い、強姦・輪姦や日本への強制連行・労働などあらゆる加害・虐殺をしてきた。初年兵教育の仕上げには中国人を的の代わりに突き刺す「実的刺突」をさせ、彼も水攻めの拷問などをしている。
彼らには「白米」を十分与えられ、職員たちは1日2食の「コウリャン飯」だった。
彼は戦後、シベリアに5年間捕虜として抑留され、5年後の1950年に中国に戦犯として約1000人の仲間と共に中国に移管され「撫順戦犯管理所」に収容(「溥儀」も収容されていた)された。ここで人道的扱いを受けながら6年を過ごし、その中で彼らは「鬼から人間へ」に戻って行ったのである。 管理所は周恩来の直轄管理指示で戦犯といえでも人間であり、罵倒や殴打も許さず「戦犯と言えどもと人間であり、人格を守れ」と指示された。しかし、看守たちは自分たちより良い食事を与えられる戦犯たちに憎悪を感じ、また、戦犯たちも「上官の命令だった」と戦犯扱いに反抗していた。
やがて月日が経過し徐々に彼らは過去を振り返るようになっていったが、その間、何の強制労働も学習もなく有り余る時間を与えられた中で反省していったのである。
彼は自ら虐殺した金純昌の四女と面会し、心からの謝罪をした。
管理所の約1000人の戦犯たちは56年の特別軍事法廷で政府・軍高官の45人を除く殆どが「起訴免除」とされ、彼もその中の一人だった。否、元軍医で自ら野戦病院での生体解剖を告白・懺悔してきた湯浅謙さん(故人)なども起訴免除にされた。起訴された45人に1人の死刑も無期もなく、シベリアと管理所の計11年を刑期に参入され満期前に帰国を許されている。 起訴免除された彼らは1956年3組に分けて天津から舞鶴に帰国を果たしたのである。その翌57年に彼らは『中国帰還者連絡会』を組織し、自らの体験や加害を証言しながら2002年の解散まで反戦平和と日中友好を訴えてきた。彼らは右翼からの「洗脳批判」にも体験者として堂々と身体を張って発言を続けたのである。
罪を赦され「起訴免除」で、母と妻のもとへ帰った渡部
彼らは1988年に撫順戦犯管理所に立派な『謝罪碑』を建立している。 『人のあかし』は同劇場「スペース川崎」で(http://www.kinet.or.jp/keihin/)12月9日まで10回(予約制)公演される。参考図書『人間の良心』 (著者:花烏賊康繁、発行:北の風出版)
【記者私見】
「洗脳」とは戦前・戦中の教育、否、調教の「現代神、神国、八紘一宇、大東亜共栄圏、五族共和、聖戦・・・・・・」こそ洗脳であった。
今、集会の自由や言論・表現の自由が侵され、東京、大阪では「日の丸・君が代」の起立斉唱が処分までして教師が強制され「思想・信条の自由」が侵されている。既に治安維持法時代の「何時か来た道」を歩かされている。相手の立場を考えない限り戦争はなくならない。ヴェイツゼッカーの『過去を忘れる者は、現在にも盲目となる』、周恩来の『前事不忘 後事之師』(前の事を忘れず、後の教えとする)の言葉を忘れてはならない。