「人のあかし」上演後の反響
公演を終わって
京浜協同劇団 和田庸子(作者)
今回の公演 「人のあかし」~ある憲兵の記録から~ は予想を上回るほどの強い共感と感動の声が寄せられる中で、無事千秋楽を迎えることができました。
個人的にも劇団としても困難だら けの公演を応援して下さった国賠同盟や撫順の奇蹟を受け継ぐ会、日中友好協会等のみなさんのご協力ご支援に心から感謝を感じております。
ありがとうございました。 また、皆さんのご感想をぜひお聞きしたいと思っています。
- 「観る前は重いな~とおもっていたのですが、観てよかったです!まさに、今観るべ き知るべきこと」(34才女性・三鷹市)
- 「侵略戦争の非人間性・非人道性がひしひしと深く重く激しく心の底から湧きおこってきました。そして生きていくことの元気を与えてもらいました」(78才男性・大田区)
- 「渡部さん他、役者の方の演技が迫真で、軍国の兵隊から『人間』へと変化していく過程がよく分かりました」(32才男性・狛江市)
- 「選挙中にやった意義の深さに拍手」(77才女性・中原区)
- 「反省と謝罪があってはじめて先にすすむことができる。原発のことに通じると感じました」(49才男性・高津区)
- 「演劇っていうのは、やっぱりナマで、映画やテレビとは伝わるものが全然違うことに感動しました。良かったです!」(20才男性・鎌倉市)
- 「今の中学生や高校生にもみてほしいと思いました」(45才女性・保土ヶ谷区)
観客数は10ステージ900名。短期決戦の取り組みの割には、がんばったと言えます。250名の方からアンケートが返ってきました。
圧倒的に上記のような内容がほとんどでしたが、2名の方が「後味の悪い公演だった、偏向ではないか」と書いていました。
今回の公演で私は、企画・脚本・制作・演出助手、ついでに役者とすべてに関わりました。
最大の関心は何といっても、劇団内でもなかなか一致できなかったこの脚本の中身が、観客にどのようにうけとめられるだろうか、ということでした。結果は「今、この時期によくやった!」という声が多々届き、まずは安堵したのが実感です。
いろいろ創造上の問題はあるにしても、「主張が実にシンプル」で、それがストレートに伝わってきたことがいい、と言われました。
「撫順」のことは知らない人がほとんどでしたが、「元憲兵・土屋芳雄」の生き方をタテ軸に、撫順戦犯管理所にあらわれた「人間」に対する思想と実践、そして日本とはいったい何なのか、今後私たちは、どうあったらいいのか、ということをヴィヴィットに舞台を通して感じていただけたとすれば、「演劇」という表現のもつ役割を少しは果たせたのではないかと考えます。
「元憲兵・土屋芳雄さんの話を、一人芝居で演じてみたい。例えばおじいちゃんが自分の孫に語るように・・・書いてみない?」と劇団員の護柔一から提案されたのは2年前、「黒と白のピエタ」公演が終わった直後でした。
「この話のどこに、役者としてのやりがいを感じるの?」と訊くと、護柔は「ただの貧しい百姓の息子が、兵隊になって、残虐非道・鬼のような人間になり、ある経過を経てまた人間に戻っていく、その変化がおもしろい。
役者として演じてみたいという魅力と意欲が湧く」と即座に答えました。
ヘエーエ、そうなのか・・・。 彼の「やる気」はこの演劇を作る上で大きな力として作用しました。
その後、「撫順の奇蹟を受け継ぐ会」の松山さんたちとの出会いは、私が頭で考える以上に、「戦争責任問題」が現在と直結した問題であることを再認識させてくれました。
源さん(元戦犯管理所所長)の息子さんを川崎区に訪ねたとき、「日本で25年以上ビジネスをしているが、もはや過去の日本の罪行を問おうとは思わない。
だが、やったことをなかった、と言われては未来についてふつうに語り合うことができないではないか。
でも今回、劇団の人たちに知り合えてとてもうれしい」また、研究者の張宏波さんは上演後の交流会で「私は中国人であるから、なにを言っても日本の人からは『あなたは中国で反日教育を受けている・・・』と言われるので、なにも話さなようにしている。
でも今日は話せる場を得ました」と語りました。
作劇上の一番の課題は、植田泰治さんからの問題提起でした。
「どんなに当時の中国のあり方がすばらしくても、それだけの脚本ではダメだ。日本人自身の中にある変革のエネルギーを見出し、ドラマをつくり、観客に手渡すことが書く者の仕事だ」といった趣旨であったように思います。
植田さんがプロデューサーだったわけではないのですが、こうしたことを提起していただき、おおいに奮起させられたことは確かです。
(※写真は、JANJAN-ブログに掲載された、芹沢昇雄さん(中帰連記念館館長)の記事より転載。)
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